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三上卓先生の号「大夢」と真木和泉の「大夢記」

 三上先生が『高山彦九郎』を著し、竹内式部ら崎門学派の皇政復古思想に注目した事実は、徳川時代の勤皇運動と昭和維新運動の連続性を示すものとして注目すべきである。
 同時に、三上先生が、彦九郎の志を継がんとした真木和泉の『大夢記』について、「大夢記には、攘夷の名を仮つた堂々たる討幕方略が明記されて居る」と高く評価していたことは極めて重大である。
 真木は、嘉永五年(一八五二)年に、久留米藩の藩政改革の建白したが失敗、以後十年にわたり、山梔窩での塾居生活を余儀なくされた。この時期に真木が書いた倒幕の戦略書が「大夢記」である。山口宗之氏は『真木和泉』において、次のように書いている。
 「『大夢記』はこの年(安政五年=引用者)十月三日したためられたが、天皇みずから幕府親征の兵をあげて東征の途にのぼり、箱根において幕吏を問責し、大老以下に切腹を命じ、幼将軍(家茂)を甲駿の地に移し、親王を安東大将軍として江戸城に居らしめ、大いに更始の政を行なうということを骨子としたものであり、露骨に討幕の具体的経綸をのべたものとして注目される」
 三上先生が「大夢」と号したのは、自らの昭和維新運動を真木の志の継承と位置づけていたからに違いない。

五・一五事件を指導した思想は世界を救う思想である!

 鳥取出身の文芸評論家・伊福部隆輝(隆彦)は、五・一五事件から2年後の昭和8年に『五・一五事件背後の思想』(明治図書出版)を刊行し、五・一五事件について次のように評した。
 「それは国民の意識的文化感情とは全く逆な事件である。それは全く夢想だにしなかつたところの突発事件であらう。
 しかも一度発せらるゝや、この事件は、国民の文化感情、社会感情に絶大な反省的衝撃を与えた。
(中略)
 五・一五事件の意義は、犬養首相が斃されたことでもなく、其他が襲撃されたことでもない。又政界不安が起つたことでもなければ、農民救済議会が召集されたことでもない。
 それは国民に文化的反省を起さしめたこと、日本的精神を振興せしめたことそのことでなければならない。
 事実、五・一五事件までのわが国民は、その将来への文化意識に於て、何ものも日本的なる特殊なる文化精神を感じ得てゐなかつた。共産主義を認めるか否か、それは別である。しかし日本の進むべき文化的道が、過去の日本の精神の中に求めらるゝとは一般的に考へられてはゐなかつた。それは飽迄も欧米への追随それだけであつた。
 然るにこの事件を契機として、斯くの如き欧米模倣の文化的精神は改めて批判されんとして来、新たなる日本的文化精神が考へらるゝに至つたのである」
 伊福部はこのように事件を評価した上で、事件の背後にあった思想に迫っていく。彼は「彼等をして斯くの如き行動をなさしめたその思想的根拠は何であつたか」と問いかけ、血盟団事件も含めて、彼等が正当だと感じさせた思想として、以下の5つを挙げている。
 一、大西郷遺訓
 二、北一輝氏の日本改造思想
 三、権藤成卿氏の自治制度学思想
 四、橘孝三郎氏の愛郷思想
 五、大川周明氏の日本思想
 そして、伊福部は「これは単に彼等を指導したのみの思想ではない。実にこれこそは、西欧文明模倣に爛朽した日本を救うところの救世的思想である。
 西欧文明は没落した。新しい文明の源泉は東洋に求められなければならないとは古くはドイツの哲人ニイチエの提唱したところであり、近くはシユペングラアの絶叫するところであるが、これ等の五つの思想こそは実に単に日本を救ふのみの思想でなく、おそらくは世界を救ふ新文明思想であらう」と書いている。
 我々は、「五・一五事件を指導した思想は世界を救う思想である」という主張に、改めて向き合う必要があるのではないか。