特別放談「天皇と憲法を考える」野田卯一・自民党顧問、平野三郎・前岐阜県知事、森磐根・岐阜護国神社宮司、司会:花房東洋、昭和62年4月)

花房 お忙しいところ御出席頂きまして洵に有難うございます。
 昨今は陛下の御在位六十年という国家的慶事がありました。七月七日の「同日選」では自民党が大勝し、獲得議席は三百の大台を越えたということもあり、一部には政局が安定するだろうとの見方がありました。ところが、国鉄問題、円高ドル安による日米摩擦問題、教育問題、売上税問題等々、安定するどころか混迷の度合いを深めて居ります。中共の政変も見過ごせないことでしょう。いずれにしても国内外の状勢は緊迫している、強いて言いますと危局の渕に立たされているということになります。
 そこで今日は、新しい年を迎えるに当って、個々の問題は別として、この国の根幹に関わる課題、例えば、天皇、民族、憲法について自由にお話しして頂きたいと思います。
野田 まず前提としておかなければならない点は、天皇、民族、憲法を語るにしても、これまでの「右翼」「左翼」「保守」「革新」という枠は取り払ってかからなければならないということです。もう既にそう時代は終ったのだという認識が必要ですね。
平野 その通りですね。両極端の時代は終ったと見るべきですね。これからは「中道」ということが大事です。それには、「天皇の道」即ち「帝王学」に真摯に学ぶべきです。それは終戦時の御聖断に象徴的に表われています。決戦か降伏かの判断を迫られた時、陛下は、本土決戦でもなく無条件降伏の道も採択されることなく「中道」を採られた訳です。ポツダム宣言受諾の可否を国民の自由意思に委ねられた。つまり天皇「制」の存続の良し悪しを国民に託したのです。その結果、象徴天皇ということで存続している訳です。
野田 昨年は御在位六十年の記念すべき年でしたが、摂政時代を加えますと、実際には御在位六十三年になります。その間、陛下は激動する日本をリードされて来られた訳です。その御努力、御心労は我々の想像を絶するものであったと思います。しかし、一言も御不満をお述べにならない、実に立派な御方と申すべきですね。権力者にはない重厚な権威とでも言うべきものを感じますね。
平野 今日、日本は戦争の荒波が渦巻く世界の海に平和の旗を掲げて乗り出した唯一の舟と言えます。日本丸の舳には平和の旗がひろがっていますが、その旗をしっかり握って居られるのが陛下です。権力者は取り巻きの因縁や情実にわずらわされるし、権力に固執するために時に判断を誤りますが、天皇は超越した御方です。
 実は陛下は、戦前は大変なお金持ちだったんです。日本中の美林、日銀の株も皇室の所有。宮内庁の人達はそれを少しでも残したいと奔走したんですが、陛下はそんなものには御関心がなく、何も要らないとおっしゃって全部国有になったんですね。丸裸になられた訳ですが、それで良かったと思います。こうした権力も財力もない御立場から初めて大所高所からの正しい御判断が生れます。こういう御方が日本に御一人居られる、これは日本にとってまことに幸運だと思います。
花房 権力よりも象徴の重みの方がはるかに大きいということですね。
平野 そうです。元来、象徴が天皇本然の姿で、権力とは関係ありませんでした。民族のふるさとと言うか、日本人全体のお友達です。ですから長く続いてきたのであって、本来のあり方に戻るのが陛下の願いではなかったかと思います。
花房 それを無理矢理神にしてしまった?
平野 いわば人身御供のような時代もあった訳です。それが今日では本来の御姿を回復出来た訳で、陛下はお喜びになって居られると思います。
野田 ところで花房君、あの軍服みたいな服を着て装甲車のような車に乗ってスピーカーで軍歌をがなり立てる右翼は何とかなりませんか?あれでは一般の人達に誤解を与えてしまいかねない。天皇護持などと主張しているようですが、逆に陛下の権威をけがすことになっていると思うのですが。
花房 先生の御懸念はごもっともですが、御指摘の右翼の中にも反省の気運が盛り上がって来てはいるようです。
森 この前陛下が皇太子殿下に送られた書簡が公開されて話題になりましたが、公開はよろしくないとする方も居られるようですが、私は一人の父親が息子に教えることを教えるという意味からも良かったと思います。
平野 昔の皇室では親子が一緒に暮らすことがなかったんですが、今上陛下からですね、お子さんをお側に置いて教育したのは。今上陛下からそういう体制になったので皇太子に手紙をお書きになることも出来たんですね。
森 陛下の帝王学、大御心は御製に良く表現されています。明治天皇は十万首に及ぶ御製を詠んで居られます。
四方海みな同胞と思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
くにのため身をかへりみぬますらををあまたえにけりこの時にして
たたかひに身をすつる人多きかな 老いたる親を家にのこして
 国民はこうした御心に応えて、宸襟を安んじ奉るべく勤しみ気負わざる得なかった訳です。つまり天皇は、兵士に国のためだから死ねとは言われることがない。兵士が後顧に残す憂いに思いをはせて下さったり、戦場においての辛苦を思んばかって下さる。それは歴代天皇の御製の中に一貫して流れているものであり、近代になっても依然として変わっていなかった大御心というものです。
花房 大東亜戦争は「四方海」の御製で始まり「罪あれば我をとがめよ天津神民は我身の生みし子なれば」との明治天皇の御製で終り、今上陛下はマッカーサーに会いに行かれる訳ですね。
森 今上陛下には「身はいかになるとも戦とめにけりただたおれゆく民を思ひて」との御製があります。国民を思われる大御心の発現ですね。非公開だけど。
平野 左翼は天皇反対。右翼は今の憲法はマッカーサーが作ったもので、そこに規定された「象徴天皇」には反対の立場ですね。自民党のタカ派の中には、天皇を元首にしろという人達もいるようですが、天皇は元首にはなりたくない訳ですね。若し天皇に権力があったら、戦争に敗けた時に潰されてしまったでしょう。天皇に権力に対する欲がなかったからこそ、自分の身はいかになろうとということでマッカーサーの前にお立ちになったのです。そう考えると「象徴」が一番良いのです。右翼は天皇を元首にしろとか、憲法九条を改正せよと騒ぐ訳ですが、九条をいじったら、アメリカから軍事費を増額せよと言われるに決っています。今の憲法が歯止めになっているということをきちんと認識してかからなくてはなりませんね。それに今の日本国民の大勢は現行憲法支持ですよ。
花房 今の天皇論は、敗戦の後遺症で、肯定論も否定論も天皇に対してこだわりがありますね。しかも、明治以降の天皇のみが議論の対象となることが多い。言うまでもなく、江戸時代の天皇も居られる訳です。敗戦の後遺症のない次代から新たなこだわりのない天皇論が生まれて欲しいものです。
森 その通りですね。最近の批評ばやりの天皇論では、左右どちらかに荷担でもしていなければ物言えないということになりますが、そういうことではなく、もっと自由に、あるべき天皇像なりその制の確立を願って考究があって欲しいと思います。批評とか批判で天皇を論ずるので、却って制約される訳ですね。例えば明治維新の国学者・矢野玄道は「献芹詹語」を建白したんですが、当時としては厳しい天皇論でしたが、私心がないということでタブー視されませんでしたね。

皇室に世代交代は必要か!?
花房 同日選で自民党が大勝、社会党は惨敗した訳ですが、平野先生はどう見て居られますか?
平野 社会党の体質そのものが時代の流れについて行けなくなっているということでしょうね。未だにマルクス主義、階級闘争史観ですが、日本に階級なんかないですよ。それなのに闘争とか勝利などということを言っているものですから、中間層が自民党に流れ込んだんですね。
森 平和を云々しながら「闘争勝利」を言う矛盾が国民の眼をごまかせなくなっている訳ですね。
平野 保守と革新の立場が既に逆になっていますね。マルクス主義は古典なんですが、そんな古典を大事にしている党が何で革新か、と言いたいですね。
花房 自民党が革新で社会党が保守――(笑)
平野 社会党が生き残る道は抜本的に路線を変更しなくてはならないですね。例えばスペインの社会労働党に学ぶべきですね。党名は革新なんですが、政策は保守。ECやNATOに加盟したりしているんですから、自民党と同じです。ゴンザレスはスペイン国民にとても人気が高いですよ。長い間のフランコの独裁に嫌気がさしていましたが、闘争、闘争の社会主義独裁を選ぶことをしなかったスペイン国民は賢明と言うべきですね。そのゴンザレスが圧勝した何日か後に自民党が圧勝した訳ですね。
森 世代交代も必要ですね。
平野 社会党もそうですが、私が世代交代を切に期待するのは天皇陛下ですね。現行の皇室典範はどさくさの中で行われた憲法改正にとりまぎれ、ろくに検討されずに、国会の議決という改正にとどまったので、極めて不備と言えます。殊に二つの点が問題です。一つは天皇を男子に限定していること。今一つは存命中は譲位出来ない、即ち終身制ということです。男に限るというのは憲法に矛盾しますし、女子天皇は十一例を数えます。当然、女子天皇あって然るべきの議論が起こって不思議はありませんが、これは原則論であって差し迫ったことではありません。
 問題は終身制の方で、最早愚図々々して居れません。今年で天皇は八十六歳、皇太子は五十四歳になられます。日本での平均寿命は近く、男が七十七歳、女は八十二歳になると言われ、これは世界一ですね。ですが最高寿命は実験する訳には行きませんので分かりません。ところが唯一人、事実上の実験が行われているのが天皇です。
花房 と言いますと?
平野 天皇は子供の時からスパルタ式の規則的生活で、酒煙草は一切無縁、食事は玄米を主に一日千八百カロリーという超人的に簡素なものです。何より皇后様と清潔な家庭を守って来られたことが大きいと思います。内科四人、外科五人の侍医がついて居り、絶えず健康管理に細心の注意が払われて居ります。その医師の報告では、天皇は時たま風邪を召される程度で完璧な状態にあり、医学的に推定すると、実に百二十五歳迄存命される可能性があるとのことです。仮にそうだとしますと、皇太子は九十歳に達することになりますね。
森 明治天皇の御聖慮で一世一元制が定められまして、宮廷は政争の場から離れることが出来た訳ですが、その代償に、天皇職の伝承の論理から言いますと、明らかに一つの断絶を意味することになります。明治天皇の英智が世界の王制史上から見て近代化に対応するものであったとしても、その時点から、天皇は日知りの皇子としてのカリスマ的存在の重要な機能も自ら放棄する方向に進まざるを得なかったという側面がありますね。
花房 日本人の信念体系を支える天皇の、御自身の天皇職に対する責務とでも言うべきものがありますね。これは皇祖皇宗にたいしても国民に対してもある訳で、例えば退位とか改元ということも、天皇御自身の、皇祖皇宗の神意にうかがいをたてられる天皇霊の更新であり、人心をして新たむる世直しの宣言であったはずです。そしてこれは、宗教的政治的な問題であるばかりか、文化概念としての天皇の御存在の十全の行為でもあったと思います。しかもこの行為は、生物的な意味での人間天皇の生死を超えた王権交代の古代祭儀の継承につながる問題であったと思います。こういう国史の基幹にも思いを致すべきではないかとも思いますが―。
平野 確かに本質論としてはそうでしょう。陛下の御決断に属する問題ですが、何れにしてもダラダラと崩御を待つだけでは情けない話ですな。この際、陛下の御意思で御隠居の道を開き、心おきなく顕微鏡を友とされることが望まれます。誠に御苦労様でした、と申し上げることに国民の大多数は異論ないと思います。
森 摂政を置くということはどうでしょうか?
平野 摂政制度は心身に重大な障害を生じた場合に限りますので、現天皇には適応しませんね。
森 十年程前になりますが、「正論」誌上で興味深い天皇論特集がありまして、故児玉誉士夫さんと近代史家の井上清さんが寄稿して居られた。そこで児玉さんは「天皇退位説」を唱えています。即ち、人間天皇をもって戦没者の屍を弔うことに余命を専念あるべしと言うのです。井上さんは、国民道義の頽廃が、天皇をして戦争の責任をとらしめなかったことから、今もって「免れて恥なし」とそれが下々に及んで、天皇はまさしく日本人の道義の「象徴される当体」だったと言う。前者の意見に学ぶべき点は、敗戦によって剥奪された天皇の政治権能の復活への窓口には、まず残された宗廟の祭祀権能において、つまり「聖」の天皇の範囲において、より積極的な行動を望んでいる訳です。後者は、善かれ悪しかれ、天皇は日本人の道義の当体である故に、「免れて恥なし」で晒す生き恥も、行きつくところまで行けば、歴史に学ぶ反省は、将来の展望として、現体制の潰滅以外ないのだと言っている訳ですね。いずれにしても、依然として、天皇は将来の歴史に対して主体的に関わってかつがれた御こしであり、お祭りの中心にあることを認めているんですね。

 敗戦と憲法
花房 大東亜戦争に敗け、日本は大混乱に陥りまして、多数の国民は人生観の根底からの動揺に迷うことになります。
 そんな時に今上陛下の
冬枯のさびしき庭の松ひと木色かへぬをぞかかみとはせむ
潮風のあらきにたふる浜松のををしきさまにならへ人々
という御製が公にされます。陛下は毅然として、ただ一本の松として残るとも、祖宗の道、即ち日本民族伝統の本質を厳守なさる沈痛の御決意を示されまして、国民に対しても「潮風のあらきにたふる」勇気を望ませられた訳です。陛下のこの御決意は、戦後四十年以上経た今日でも微動だにしていないことは疑う余地がありませんが、敗戦のドサクサの中で戦後の諸状況に大きな影響を与えることになる「日本国憲法」が制定される訳です。
野田 花房君が現行の憲法に大きな疑問を持っていることは分からない訳ではないが、占領の解除、独立回復のためにはやむを得ないという世論があったんです。議会にも政府には、不満も不服も確かにあることがあったが、万やむを得ないという情況があったし―。
花房 講和独立後に改憲の声が高まったんですが、吉田内閣以来の歴代内閣は決して改憲という「火中の栗」を拾おうとしなかったですね。党則に高らかに改憲を謳いながら―。
野田 私も長い間自民党の一員(笑)。確かに憲法については現在に至る迄、国論が分裂したままで統合されていません。ただ、その「分裂症」の日本国民に、一つの国民たることの自覚を保たせているのは天皇の「象徴」としての御存在であると思います。花房君が言わんとすることも分かるが、改憲を強行して混乱を引き起こすより現行憲法を継続する方が妥当だと思いますね。
平野 右翼や自民党のタカ派は、現行憲法はアメリカに強引に押し付けられたから改正すべきだとする見解があるようですが、誤解がありますね。私の著書(「昭和を支えた天皇物語」他)に詳しく書いておきましたが、実はこの憲法は、天皇制を防護するために、「戦争放棄」という切り札を使った幣原首相の労作だったという方が真実に近いのです。花房君は、天皇派であり好戦派だから(笑)今の憲法には不満が多いと思います。ところが、新憲法がスタートして以来、国民教育は殆んど天皇については何も教えて来ませんでしたが、陛下の御姿に接するだけで、国民は、総理大臣や衆参議院の議長などとは、全く異なる高貴なる統治者としての精神を感じていますよ。
花房 私は好戦派ではありません、誤解なきよう(笑)。それに今の平野先生のお話しの後半部分は私も同感しています。
平野 前にもお話ししましたが、憲法、殊に九条をはずしたら、莫大な軍事費の負担に悩まされることになる。九条は歯止めにしておくべきです。それに、自衛隊法は合憲となっていますので、私も野田先生同様、現憲法は改正する必要はないと思います。
森 法はその過半が慣習、道徳的規範です。慣習を構成するのはその国各様の思想であり文化です。君主の規定に則しますと、日本ではアメノシタシロシメススメラミコト、中国では王道の実践者ということになっています。ところが、近代の外来の法思想によって規定しようとするので無理が出て来ます。明治憲法は「天皇は神聖にして侵すべからず」と規定していますが、これは侵されることを想定した規定と言うべきです。対するに「象徴」もアイマイナ表現で、いうなら「象形」ですよ。平野先生に異論を立てることになりますが。
花房 明治憲法も現憲法も天皇を規定する際の言葉に振り回されている訳ですね。
森 まあ、そうですね。「豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり、爾皇孫、就でまして治らせ、行矣。宝祚の隆えまさんこと当に天壌と窮まり無かるべし」とは御存知の「宝炸無窮の神勅」ですが、これが神代人の思想・文化の基幹、即ち最高道徳規範です。明治においても、のち道徳規範として「教育勅語」や「軍人勅論」がありましたが―。
花房 現憲法でなら「教育基本法」「自衛隊法」も問題とされるべきだということですね。
森 その通り、セットです。
花房 思想・文化は一体をなすものとして、人と人を結び付けて社会を形成するという重要な機能を果たしますが、仮にこれを文化共同体とでも呼びますと、この中で人々はそれぞれの社会の思想・文化に最もふさわしいと思われる法を確立して行く訳です。で、この社会に異なる思想・文化に基づく法が移入された場合、どのような現象が生ずるか、これは明治憲法以来、殊に現行憲法が施行されて以来の戦後状況が如実に示していると思います。
森 現憲法の基本的思想基盤は近代合理主義ですね。
花房 人間性への絶対的信頼、キリスト教的倫理を社会生活の規範、即「理性」を絶対視する考え方ですね。
森 アメリカ合衆国憲法の背景にあるピューリタリズムですね。
花房 これが現憲法の基盤になっているとすれば(神主である森先生にも関係あると思いますが)、憲法第二十条も、その思想的一貫性に鑑みますと、重大な意味を含んでいると見なければならないと思います。
森 キリスト教的価値観、近代合理主義に立脚した現憲法は、本来非キリスト教徒たる日本国民には受け入れられぬ本質を持ったものであった?
花房 それに、その近代合理主義が世界的に見ても時代の感覚から遊離してしまったんです。
 極論になるかも知れませんが、日本国民は何ら哲学的・思想的・文化的裏付けのない根無し草たる憲法を戴いていることにならないか、我々はこの憲法下で、共通の歴史・伝統・文化を放棄して、民族の紐帯がない即物的利益のために生きて行くのか、ということになります。

 青少年・国防・農政
森 段々過激になって来ましたので話題を変えましょう。
平野 賛成(笑)
花房 最近、低年齢層の問題が顕在化していますが?
野田 青少年の「異常行動」は全世界的傾向でもあるようですが、我が国は我が国で抜本的な中・長期の教育政策の確立が急がれますね。臨教審なども頑張っているようですが―。
平野 一貫性のある教育体制が望まれますが、教師、親に自信がないように見受けられますね。
森 私は、子供達の衣食住の抜本的な変更が急務だと痛感して居ります。特に食生活です。日本伝統の食生活を見直す時期ですね。
花房 当人にも家庭にも学校の教師にも問題があると思いますが、根幹は国家に百年の大計がないということですね。先生方に叱られそうですが、それにはやはり憲法を改正しなければなりません。子供達が自ら生まれ育った国に誇りが持てない憲法―国防を安保で補い、福祉のタレ流しをしての票集め、軍は相変わらず陽蔭の身、子供達に自己犠牲の精神や信義の情、勇気が育つ訳がないのです。
森 平野先生、野田先生、自衛隊の現状をそう思われますか?
平野 自衛隊は急いで増強する必要はないと思いますね。軍縮の次代でもありますし―。
野田 そうですね。軍を増強して近隣諸国を刺激したりするのは得策ではないでしょうね。むしろ、その金を開発途上国に援助するとかを考えるべきですね。
花房 自由化で、農業、特に米が重要な問題になっていますが?
平野 農業は重大な転換期にさしかかっています。米の値段が世界の五~十倍というのであれば、農業の全滅ということにもなりかねませんね。
野田 第一次産業、特に米は日本の文化の根幹でもありますので、経済効率からばかり把握しないで抜本的な解決案が必要ですね。
花房 平野先生の著書「天皇と象の肉」の中で、陛下が農村を巡幸された際、知事が「農薬のお蔭で害虫が除かれ生産が上がりました」と説明申し上げたところ、「益虫もいなくなったであろうな」と呟かれたとのエピソードが載っていましたが、私もこのような大御心に沿って邁進しようと思いますので、先生方には今年も宜しく御指導の程お願い致します。
 今日はお忙しい所御臨席を賜りまして洵に有難うございました。
(「青年日本」第26号、昭和62年4月15日発行)

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